パンジー関Story

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パンジー関 ( 江古田アコースティックレコーディング代表 )の、生まれてからこれまで

 
長野県佐久総合病院にて産声を上げる。
東京三鷹で3歳まで過ごし、それ以降は埼玉県入間市でのびのび育つ。
 
入間川のそばで育ったせいか、海より川派。
だんぜん川派。
幼稚園でハーモニカが吹けずに泣く。
記憶に残る初めてハマった音楽は、サンバルカンの曲。
 
小学6年生、スーダラ節に衝撃を受ける。
お父さんに頼んでテープを買ってもらう。
中学1年生、嘉門達夫の替え歌メドレーにハマる。
お父さんのフォークギターを触るようになる。
禁じられた遊びを弾く。
 
中学2年生、友達が「エレキギター」なるものを持っていると聞き、あまりに驚いて確かめにそいつんちに行く。
本当にあった。
 
エレキギターを持っていないコンプレックスから、
「なにがエレキだ、アコースティックの方がかっこいいじゃねえか」
と憤慨する。
別の友達とアコギ同盟を組む。
ソフトテニス部にいた僕は、アコギ同盟を組んでいた野○君とダブルスを組んでいた。
試合でサーブを打ったら、ボールは相手のコートへ飛んでいかず、フロントポジションにいた野○君の頭に直撃した。
ボールはきれいに真上に跳ね上がった。
 
ビートルズを聞く。
めちゃめちゃハマった。
中学3年生、友達がバンドを組み、体育館でブルーハーツの「夢」を演奏するのを目の当たりにする。
人前で演奏をする「ライブ」というものの存在を初めて知る。
知ったは知ったけど、この時点ではいまいちよく理解はできていなかった。
 
Fが押さえられずギターには触らなくなる。
高校1年生、ハードロックにハマる。
洋楽ばかり聞く。
 
高校2年生、ブルーハーツを本格的に聞くようになる。
ブルーハーツ以外のものは一切聞かなくなる。
毎日毎日、繰り返し繰り返しブルーハーツを聞く。
もうこの世にはブルーハーツしか無いものとなる。
 
お父さんにエレキギターを買ってもらう。
Fをマスター。
ギターをたくさん弾く。
 
1年浪人して大学に入る。
理工学部物理学科。
1年生の間は一切友達できず。
高校のときの友達に誘われてインドへ1週間旅行に行く。
インド出発当日、高校の友達は42度の熱を出しながらも、「申し訳ない」という気持ちが勝ち、抗生物質を飲みながらやって来た。
インドで腹痛に襲われる。
 
大学2年生になったところで、軽音楽サークルに勧誘される。
大学の非公認サークルで、学生課から構内で勧誘活動をするなと怒られていた。
かわいそうなので入ってあげた。
サークル三昧の生活になる。
学業おろそかになる。
サークルではお酒をめちゃめちゃ飲まされたが、結局まったく飲めるようにならなかった。
 
カセットMTRを手に入れる。
初めて曲を作る。
 
ジョジョの奇妙な冒険にハマり、大学卒業間際にひとりでディオを探しにエジプトへ行く(3週間)。
4年生になっても学科には友達ができず。
卒業式の日、友達はいなかったのに、なぜかたくさんの同級生からツーショット写真をねだられる。
 
就職氷河期と呼ばれる時代のせいなのかなんなのか、就職が決まらず居酒屋でアルバイトを始める。
居酒屋のキッチンに、楽器をできる奴が何人かいることに気づく。
スタジオに入って遊ぼうぜとなる。
 
スタジオに入ってみたら、ドラムをたたける奴がいないことに気づき、「じゃ今日だけ」と僕がドラムを叩く。
何度かみんなでスタジオに入ってセッションをして遊んでいたが、いつもスタジオへ行く奴等が3人に固定してくる。
僕と、もう二人がひじき石塚ときくらげ松岡。
そのうち曲を作るようになる。
曲がたまってきたのでライブでもやろうかということになる。
バンド名が必要だね、ということになり、「ワラビーズ」と名乗る。
ひじき石塚がギターボーカル。
きくらげ松岡がベース。
パンジー関がドラム。
結局ドラマーになる。
 
4トラックカセットMTRでワラビーズのアルバムを録音する。
テープが伸びてしまい、ギターのチューニングをすればするほど音がずれる。
 
デジタルMTRを入手。
ワラビーズのアルバムを録音する。
まだコンプレッサーの意味が分からない。
マイクは、おばあちゃんが使っていたカラオケマイクをもらって使っていた。
居酒屋のカラオケルームのマイクの壊れたやつをもらって直して使っていた。
 
曲のメモのためにDAWを導入。
初めて買ったオーディオインターフェイスはYAMAHA AUDIOGRAM6。
この時点で、まだサンレコの存在すら知らない。
誰も教えてくれない。
エンジニアという人がいることすら気づかない。
気づかず10年ほど一人で録音・ミックスを繰り返す。
 
インターネットにより、どうやらエンジニアという人がいるということに気づく。
ひたすらネットを漁り、本を買う。
教えてくれる人がいることにも気づく。
習いに行く。(アイオーミュージックの、音圧アップのABC講座)
友達のバンドのレコーディングについていき、プロのエンジニアさんと仲良くなる。
習いに行く。(茨城のチャプターハウスの樫村さん)
 
ギターをやっていて、途中でドラムに転向したもんで、バンドの楽器は全部できることに気づく。
好きなアーティストの曲を完コピし、録音を繰り返す。
マイキングからコピーしてエンジニアリングの修行をする。
コピーした曲たち
・ジャックジョンソンのネバーノー
・クロマニヨンズのタリホー、ナントカドン
・グリーンデイ
・weezer
・マリリンマンソン
・リンプビズキット
・奥田民雄
・ジェイソンマーズ
・スリップノット
・etc…
 
友達のバンドを録音したりするようになる。
お金をもらうようになる。
 
江古田アコースティックレコーディングを立ち上げる。
出張レコーディングで、バンドのレコーディング、クラシックの録音、ライブレコーディング、ホールレコーディング等活動の幅を広げる。
今に至る。
近いうち、ドラムの叩ける部屋へ引っ越します。
 
 
 

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